月の木漏れ陽亭
いらっしゃいませ☆  リニューアル!詩作やら日記がメインです。趣味や日々のあれこれを語っています☆  みなさま、どうぞごゆっくりとしていって下さいませww
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窓辺のスキャンダル
   小説家に学ぼう~太宰治 ④


 前回に引き続き、太宰治氏について語ってみようと思います。




   太宰治への誤解と偏見 

 太宰治はよくデカダンスの作家、または破滅型の作家といわ

 れる。あるいは、無頼派の作家として評されたりもする。

 彼の生活が荒れていたことから、伊藤整は「この背徳の人、

 三回か四回にわたる自殺企画者、嘘の名人、懺悔者、イエス

 の真似人」などと言ってもいる。

 現象的にそう見えても、彼の生涯は恋と革命のためという、

 強い反逆精神と反俗精神に裏付けられたものであった。

 たとえば、昭和13年に発表した『姥捨』の中で「私は、やっ

 ぱり歴史的使命ということを考える。自分ひとりの幸福だけ

 では、生きて行けない。私は、歴史的に、悪役を買おうと思っ

 た。ユダの悪が強ければ強いほど、キリストのやさしさの光

 が増す。私は自身を滅亡する人種だと思っていた。私の世界

 観がそう教えたのだ。強烈なアンチテエゼを試みた。滅亡す

 るものの悪をエムファサイズしてみせるほど、次に生まれる

 健康の光のばねも、それだけ強くはねかえって来る、それを

 信じていたのだ」と語っている。

 彼はそれを「反立法としての私の役割」であるという。そし

 て、それが「次に生まれる明朗に少しでも役立てば、それで

 私は、死んでもいいと思っていた」とさえ述べている。

 さて、なぜ太宰は「自身を滅亡する人種」だと思うことになっ

 たのか、あるいはそれを太宰に教えた「私の世界観」とはいっ

 たいどういうものであったのか。

 酒と麻薬におぼれ、自殺未遂や情死未遂を繰り返すなど荒れ

 た生活を振り返った時、とりわけ、水上温泉にて妻の初代と

 カルモチン自殺を企て、未遂。帰京後、初代と離別したとい

 う体験に目を向け、一年半の沈黙の後にそのことを『姥捨』

 という作品にして世に問うた時、彼は自らの存在をその深み

 からすでに相対化しきっていただろう。そして、自己の存在

 の無意味性というものを深いニヒリズムの底で自覚していた

 だろう。

 太宰はこの時すでに「自身を滅亡する」側の人間に自分を数

 えていたのだ。そして、それはまた自分のような人間は滅亡

 しなければならないという意志でこそあったのではないか。

 では、太宰にそれを教えた「私の世界観」とは何を指してい

 るのか。それはまたの機会にでも。






 初代というのは、太宰の最初の妻です。

 とはいえ、実家から結婚を許されなかったため、実際には内

 縁の妻になります。

 青森の弘前で芸妓として働いていた時に高校生であった太宰

 と知り合い、駆け落ちのような形で上京。その後、太宰が薬

 物中毒により治療で病院に入院中に、太宰の義弟と関係をもっ

 てしまい、のちにそれが太宰にばれたため、ふたりで心中し

 ようと水上温泉にて行動を起こしてしまう。

 太宰と別れたあとも彼女は波乱万丈の人生を送ったらしい。

 太宰にとっては裏切られたという点で、自分と同じ匂いの人

 間という感覚が強かったのではないかと思う。

 自分と同じ、滅亡しなければいけない人種。まさに同族意識

 が強かったのではないか。だから、自分たちの過ちを消すた

 めに死を選ぼうとした。実は太宰も入院する前に違う女性と

 心中未遂を起こしている。だからこそ、ふたりで死んでしま

 わなければいけないと感じたのだろう。

 でも、結局はふたりとも生き残り別れてしまうのだけど。

 では、また次回。















 ※このカテゴリのタイトル名は、サザンの曲「亀の泳ぐ街」

   の歌詞の一節から拝借しています  


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哀しみの道化師
   小説家に学ぼう~太宰治③



  絵文字名を入力してください 恋と革命 絵文字名を入力してください

 太宰治の作品は青年たちに愛読されることが多い。なぜに若者

 を惹きつけるのか。それは太宰氏にとって「恋と革命」が文学

 のモチーフとしてとらえていたからだと思う。

 この「恋と革命」という言葉は、「斜陽」の中に出てくる。ま

 さに青年時代の青春を指しているような表現だ。

 だから太宰の文学は「青年の文学だ」と言われるのだろう。

 「斜陽」の一文に、「人間は恋と革命のために生まれてきたの

 だ」と主人公が叫ぶシーンがある。主人公であるかず子の生き

 方は反俗の精神でつらぬかれている。つまり「おとな」たちの

 世界に対して反逆の精神を抱いているのだ。それは、おとなた

 ちの生き方が生きるということに値しないと彼女が考えている

 からである。この反俗・反逆の精神というのは、物質的な価値

 に対する精神的な価値を主張した意味を含んでいる。

 「人は何を幸福とするのだろうか。金をたくさん得ることか。有

 名になり名誉を得ることか。衣食住に何不自由ない状態か。美

 くしく賢い相手と結婚し安定した家庭を築くことか」

 太宰は小説の中で度々反語的にこういった言葉を残している。つ

 まりここでいう「おとな」というのは、物質的なものを得ること

 以外、どんな目的をもつこともできない不安な「現実」に生の充

 実感を見失い、よりどころを求めようとしても得られない荒涼感

 が精神を腐食し続けているものという意味だろう。本当に生きる

 とは何であるのか。ただ目に見える欲や物欲のみが得られればよ

 いのか、という反語を我々に投げかけているのだ。

 「恋」。それは実に甘美なものである。だが、それに忠実に生き

 ようとする時、それを拒む俗なる「おとな」の世界からのあらゆ

 る障害(道徳・既成の価値観)と闘い、それを抑制・粉砕しなけ

 ればならない。それが「革命」を意味している暗喩ともなっている。

 太宰のいうところの「革命」とは、「恋」を第一義に考えている

 点である。つまり自らの魂の叫びに従って真に生きようとする姿

 勢、そのことが重要なのだと彼は言いたいのだろう。この点から

 も分かる通り、つまり太宰がいうところの「革命」とは、世間一

 般でいわれる社会革命、共産主義とはほど遠いものである。彼の

 中では、旧来の思想を破壊しようとするがむしゃらな勇気、完成

 しようとする美しくも儚い幻想のようなものを指しているのでは

 ないだろうか。「おとな」の目から見ればそれは無益なことでも

 自らの存在を賭けられることこそが青年の特権であり、それは「

 おとな」の打算や自らの存在の保守という考えとは相容れぬもの

 なのだろう。

 「恋と革命」に生きるということは、「おとな」の世界(社会と

 いう秩序ある現実世界)との間に矛盾を生ぜざるをえない。そこ

 に葛藤や苦悩が生まれる。その果てに、青年たちは「恋と革命」

 を捨て「おとな」の世界に入ってゆく。そこに選択はなく、拒否

 したものにはただ滅亡が待っているのだ。しかし、太宰はその道

 をいったのだ。「おとな」の世界を拒否し、「恋と革命」に生き

 ることを貫徹した。そう生きることが自らの生を自らのものとす

 ることでこそあると信じたのだろう。そして、その滅亡に至る過

 程を自らの小説として描いたのである。

 「恋と革命」に生きることを貫徹せんとする太宰の一途さ、純粋

 さ、情熱、それらに青年たちが自らの理想像をあるいは自らの姿

 そのものを投影して見ているのだろう。だからこそ青年たちにこ

 れほどまでに彼の作品が受け入れられるのだろう。

 私はそういう生き方に憧れを抱いたとしても、とうていそういう

 生活は送れない。映画やドラマや小説を見て、その世界に惹かれ

 たとしても、やはりそれは架空の世界観であって、現実としては

 受け入れることはできない。だからこそ、私はこんなにも彼に惹

 かれるのかも知れない。自分にはできないこと、無理なこと、だ

 からこそ、彼の小説を読む度に甘美にも似た擬似体験を通して恋

 と革命に夢を見るのかも知れない。

 ちなみに「斜陽」の主人公であるかず子は、妻子ある人の子を宿

 し、その子を産み育てるという決意をする。つまりこれこそ恋と

 革命に生きた女性象なのだ。そして太宰の人生もまさにその言葉

 の通りの人生だった。





 一区切り。ということで、とりあえずは太宰氏については一旦

 終わろうと思います。

 彼の文学や生き方などについては、またの機会にでも。















 ※このカテゴリのタイトル名は、サザンの曲「恋の大泥棒」

  の歌詞の一節から拝借しています  





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今は亡き面影
   小説家に学ぼう~ 太宰治 ②




  サボテン 晩年 サボテン

 『人間失格』『桜桃』などを書きあげたのち、1948年(昭和2

 3年)に玉川上水(東京都北多摩郡三鷹町)に、愛人の山

 崎富栄(1917-1948)と入水心中(同6月13日)。

 この事件は当時からさまざまな憶測を生み、愛人による無

 理心中説、狂言心中失敗説等が唱えられている。『朝日新

 聞』に連載中だったユーモア小説「グッド・バイ」が未完の

 遺作となった。奇しくもこの作品の13話が絶筆になったのは、

 キリスト教のジンクスを暗示した、太宰の最後の洒落だった

 とする説(檀一雄)もある。

 遺書には「小説が書けなくなった」旨が記されていたが、自

 身の体調不良や、一人息子がダウン症で知能に障害があっ

 たことを苦にしていたのが自殺の原因のひとつだったとする

 説もある。既成文壇に対する宣戦布告とも言うべき連載評論

 「如是我聞」の最終回は、死後に掲載された。

 東京杉並区堀ノ内に埋葬。戒名は文綵院大猷治通居士。





  ラベンダー 作風 ラベンダー

 4回の自殺未遂や小説のデカダン的とも言える作風のため

 か、真に迫った作風を好む作家としてのみ捉える向きがあ

 るが、戦時中は『畜犬談』『お伽草紙』『新釈諸国噺』など

 ユーモアの溢れる作品も残している。深刻な作品のみを挙

 げて太宰文学を否定した三島由紀夫は、大藪春彦から「そ

 れなら君は『お伽草紙』を否定できるか!」と詰め寄られて、

 一言も言い返せなかったという。個人的に太宰と交際があっ

 た杉森久英も、永らく太宰文学を好きになれなかったが、戦

 後だいぶ経ってから『お伽草紙』や『新釈諸国噺』を読んで

 感嘆し、それまで太宰を一面的にしか捉えていなかった自

 分の不明を深く恥じたという。

 長編、短編ともに優れていたが、「満願」等のように僅か原

 稿用紙数枚で、見事に書き上げる小説家としても高く評価

 されている。「女生徒」「きりぎりす」をはじめとして、女性一

 人称の作品を多く執筆。

 「なぜ男性なのに、女性の気持ちがここまで判るのか」と、

 女性作家や女性文芸評論家から賞讃を受けている。ただし

 これは、特定の女性の日記が基になっている作品だからで

 あるとの指摘もされている(なぜなら「斜陽」は愛人太田

 静子の日記が基となっているから)。

 また坂口安吾、織田作之助、石川淳と共に「無頼派」または

 「新戯作派」の一人に数えられる太宰は、退廃的な作風を好

 んだ、と一般に言われている。 しかし、太宰自身は退廃的な

 作品を書きながらも同世代の作家のなかでもっとも「神を求め

 た人」であった、とする研究・評論も多くある。

 太宰は、聖書やキリスト教にも強い関心を抱き続けた。そして

 聖書に関する作品をいくつか残している。その一つが「駈込み

 訴へ」である。この作品では、一般的に裏切り者、背反者とし

 て認知されるイスカリオテのユダの心の葛藤が描かれている。

 太宰は、この作品を口述筆記で一気に仕上げた。

 1948年(昭和23年)、太宰の死の直前から『太宰治全集』が

 八雲書店から刊行開始されるが、同社の倒産によって中絶した。

 その後、創藝社から新しく『太宰治全集』が刊行される。だが、

 書簡や習作なども完備した本格的な全集は1955年(昭和30年)

 に筑摩書房から刊行されたものが初めてである。



 大まかに太宰治の人間像について書いてみました。

 今度は更に細かくその人間性と文学、恋愛、作品などについて

 書いてみようと思う。次回へ。















 ※このカテゴリのタイトル名は、サザンの曲「君にサヨナラを」

  の歌詞の一節から拝借しています  





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魂のBlues
   小説家に学ぶ~ 太宰治 ①


 今日は私の最も大好きな作家、太宰治氏について

 語ってみようと思う。

 有名なので、名前はもちろんのこと、おそらくどんな

 人でも彼の作品の一つは知っているだろう。

 その最有力といえば、やはり「走れメロス」。もしく

 は「人間失格」だろう。

 彼の人生については、何度も自殺未遂を繰り返し、

 あげくに女性と心中した人というのが一般的な見解

 だろうと思う。それでは太宰はいったい、どんな人物

 であったのか。なぜ、自殺を繰り返したのか、どんな

 作品を世に残したのか、どんな生活をしていたのか、

 など自分のわかる範囲でちょっとまとめてみようと思う。



 睡蓮(赤) 経歴 睡蓮(赤)
 
 太宰 治は、1909年(明治42年)6月19日に青森県
 
 北津軽郡金木村(現在の青森県五所川原市、旧北

 津軽郡金木町)に、県下有数の大地主である津島

 源右衛門(1871-1923)、タ子(たね)(1873-1942)

 の6男として生まれた。二人の間には11人の子供が

 おり、10番目であった(但し、太宰が生まれた時点で

 すでに長兄・次兄は他界)。父・源右衛門は木造村の

 豪農松木家からの婿養子で県会議員、衆議院議員、

 多額納税による貴族院議員等をつとめた地元の名士

 であった。

 金木の生家は今は、太宰治記念館 「斜陽館」として

 公開され、国の重要文化財に指定されている。

 本名は津島修治(つしましゅうじ)。

 1933年(昭和8年)より小説の発表を始め、1935年(昭

 和10年)に「逆行」が第1回芥川賞候補となる。主な作

 品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『斜陽』『人間失格』

 など。諧謔的、破滅的な作風で、坂口安吾、石川淳など

 ともに新戯作派、無頼派とも称された。大学時代より自殺

 未遂、心中未遂を繰り返し、1948年(昭和23年)玉川上水

 にて山崎富栄(とみえ)と心中。




 アップロードファイル 学生時代 アップロードファイル

 1916年(大正5年)、金木第一尋常小学校に入学。1923

 年(大正12年)、青森県立青森中学校(現・青森県立青森

 高等学校)入学直前の3月、父が死去。

 17歳頃、習作「最後の太閤」を書き、また同人誌を発行。

 作家を志望するようになる。官立弘前高等学校文科甲類

 時代には泉鏡花や芥川龍之介の作品に傾倒すると共に、

 左翼運動に傾倒してゆく。

 1929年(昭和4年)、当時流行のプロレタリア文学の影響

 で同人誌『細胞文芸』を発行し、辻島衆二の名で作品を発

 表。 この頃は他に小菅銀吉、または本名でも文章を書い

 ている。12月、みずからの階級に悩みカルモチン自殺を図る。

 1930年(昭和5年)、弘前高等学校文科甲類を76名中46

 番の成績で卒業。フランス語を知らぬままフランス文学に

 憧れて、東京帝国大学文学部仏文学科に入学。だが、高

 水準の講義内容が全く理解できなかったうえに、非合法の

 左翼運動にのめり込み、授業にはほとんど顔を出さなかっ

 た。また、小説家になるために井伏鱒二に弟子入りする。

 この頃から本名の津島修治に変わって、太宰治を名乗るよ

 うになる。大学は留年を繰り返した挙句に授業料未納で除

 籍処分を受ける。卒業に際して口頭試問を受けたとき、教

 官の一人から、教員の名前が言えたら卒業させてやる、と

 冗談を言われたが、講義に出なかった太宰は教員の名前

 を一人も言えなかったと伝えられている。在学中に、カフェ

 の女給で人妻である田部シメ子(1912-1930)と出会い、

 鎌倉・腰越の海に投身する。だがシメ子だけが死亡し、太

 宰は生き残る。




  カゴ 小説家時代 カゴ

 芥川龍之介を敬愛し、1933年(昭和8年)、短編「列車」を

 『サンデー東奥』に発表。同人誌『海豹』に参加し、「魚服

 記」を発表。

 1935年(昭和10年)、「逆行」を『文藝』に発表。初めて同

 人誌以外の雑誌に発表したこの作品は、憧れの第1回芥

 川賞候補となったが落選してしまう。(ちなみにこのとき受

 賞したのは石川達三『蒼氓』)。選考委員であった川端康

 成から「作者、目下の生活に厭な雲あり」と私生活を評され、

 「小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか」

 と文芸雑誌上で反撃した。 その後、都新聞社に入社できず、

 自殺を図るが未遂。また、この年、佐藤春夫を知り師事する。

 佐藤も選考委員であり、第1回の選考時では、太宰を高く評

 価していた。第2回を太宰は期待し佐藤も太鼓判を押したが、

 結果は「受賞該当者なし」となった。第3回では仇敵であった

 川端康成にまでも選考懇願の手紙を送っているが、過去に候

 補作となった作家は選考対象から外すという規定がもうけられ

 候補にすらならなかった。 1936年(昭和11年)、前年よりのパ

 ビナール中毒が進行し治療に専念するも、処女短編集『晩年』

 を刊行。翌1937年(昭和12年)、内縁の妻小山初代(1912-19

 44)とカルモチン自殺未遂、一年間筆を絶つ。

 1938年(昭和13年)、井伏鱒二の招きで山梨県御坂峠にある

 天下茶屋を訪れ、井伏の仲人で甲府市出身の石原美知子(1

 912-1997)と結婚する。甲府市御崎町(現・朝日)に住み、精

 神的にも安定し、「富嶽百景」「駆け込み訴へ」「走れメロス」な

 どの短編を発表。戦時下も『津軽』『お伽草紙』など創作活動を

 継続。1947年(昭和22年)、没落華族を描いた長編小説『斜陽』

 が評判を呼び、流行作家となる。「斜陽族」なる言葉も流行。





 簡単に系譜を。長くなってしまったので、晩年に関しては、後述

 したいと思います。


   ※プロレタリア文学~日本文学では、大正時代末期から昭

                代初期にかけて、個人主義的な文学

                を否定し、社会主義、共産主義思想と

                結びついた文学のこと。


 太宰はれっきとしたお坊ちゃんです。父は知名度もある人物。

 恐らく彼はひじょうに繊細な子供だったのだろう。

 自分は裕福だけれども、周りはそうではない。

 自分は常にいい服を着ているけど、周りはそうではない。

 そんなことが一つ一つ重なって、心の重圧となり、左翼へと傾

 いていってしまのだろうと思う。

 
 では、次回に続きます  jumee☆paw6













 ※このカテゴリのタイトル名は、サザンの曲「大阪レディ・

  ブルース」の歌詞の一節から拝借しています  





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無垢なファシスト
   「太宰治について」



     太宰治

       この憂い顔がタマラナイ ねこ 太宰治先生 



 私の最も尊敬する、大好きな作家。

 一般的には、どう思われてるのかな?

 やっぱり、暗いイメージが強いのかな (笑)

 太宰氏の作品で、一番有名なのは、明るいイメージで言えば

 「走れメロス」辺りだろうね。で、暗いイメージから言えば、

 「人間失格」か「斜陽」辺りかな。

 私が彼の作品を初めて読んだのは、小学生の時。

 「走れメロス」

 感動した 絵文字名を入力してください 

 これ、実は学校に劇団が来て、体育館で見たんだよね。で、

 名作だなと思って、作品を読んだのがきっかけ。

 読みやすかったし、子供が読んでも理解しやすいしね。

 この話を知らない人の方が珍しいか。で、中学生になって、

 「人間失格」、「斜陽」読んだら、もうハマッてた (笑) ねこ 

 うわー。この人、スゴイ! 天才だ!!  うにゃぁんな顔

 思わずそう感じたよ。もう夢中で全作読んだなぁ。

 よく、太宰の文学は、一種のハシカのようなものだって言われ

 るけど、私はそのハシカが今でも治まらない (笑)

 きっと、もうずっと病気なんだ。

 彼の凄さは、一言では言い切れないけど、とにかく、何かこう、

 惹き込まれるような、そんな世界を持っているんだよね・・・。

 間違いなく、感覚人間だと思う。もちろん、東大行くぐらいだから

 頭は良いんだけど、頭で考えるというよりは、もう彼独特の感覚で

 ものを書いている、そんなイメージがある。

 文章の書き方も独特で、面白いしね。暗いというイメージだけで

 語られがちだけど、私は、この人程、人間染みた人はいない気が

 する。生きることへの不安や哀しみ、期待に対しての焦燥感だとか、

 人への不信感や文学への純粋な思い、葛藤、ふと訪れる喪失感とか。

 彼の作品では、そういった人間の心の弱さが巧みに、繊密に書かれ

 ている。 グ   絵文字名を入力してください    絵文字名を入力してください 

 特に女性として語るタイプを得意としていて、だからかな。女の人に

 ファンが多いのは。

 どちらかと言うと、作品中の男は、弱い精神の持ち主で、逆に女は

 強く描かれているのが特徴の一つだと思う。

 彼の作品は、全体的に、確かに暗い、じめじめした雰囲気を持たせ

 てはいるけど、内容もそうかというと、厳密には違う。

 決して、「もう駄目だ。死のう・・・」みたいな絶望を語っているので

 はなくて、

 「どんなに辛くても、苦しくても、それでも

 生きよう」


 というメッセージが所々に語られている 絵文字名を入力してください

 太宰先生が生きていた時代背景には、「戦争」という文字が

 切っても切れない。戦争に赴く青年達を憂いて、社会に慟哭して、

 作られた作品も多い。

 作品には、皮肉ともとれるダークユーモアが随所に書かれていて、

 それがとても素晴しい。もちろん、自分を卑下して言ってたり、時に

 は他人に対して言ってたりして、私には、その精神というか、天邪鬼

 な所 (笑) が、かなり好き にやり 

 私自身も彼に影響されて、詩や短編を稚拙ながら作っているけれど、

 やっぱり暗くなりがち (笑) というか、重いかもね (笑) ヒヒヒ 



           ※ ちなみに、このカテゴリのタイトル名は

              サザンの曲「怪物君の空」の詩の一節から

              拝借しております ホルダー

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