月の木漏れ陽亭
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ビッグスターの悲劇
   「リア王」を読んで



 また昔の読書感想文です。




   「リア王」

       作者:シェイクスピア


人形3 あらすじ 人形3

  老王リアは退位にあたり、三人の娘に領土を分配

  する決意を固め、三人のうちでもっとも孝心のあつ

  いものに最大の恩恵を与えることにした。二人の姉

  は巧みな甘言で父王を喜ばせるが、末娘コーディー

  リアの真実率直な言葉にリアは激怒し、コーディー

  リアを勘当の身として二人の姉にすべての権力、財

  産を譲ってしまう。老王リアの悲劇はこのとき始まった。

  四大悲劇のうちの一つ。




絵文字名を入力してください 感想 絵文字名を入力してください

  シェイクスピアは悲劇=喜劇であると言っている。成る程

  そうかもしれない。確かに悲しさ、辛さといった感情がいっ

  ぱいになって、それを越すと笑いになると思う。悲しすぎて

  空しすぎて、泣きたいのになぜか笑ってしまうということが

  あるではないか。人間いざそういう場面に遭遇した時、涙

  よりも笑いの方が出てくるのではないか。要するに感情とは

  反対の行動が無意識に起きるのではないかと思うのである。

  もちろんすべてがそうだとは言い切れないが、本当に感動し

  た時ほど涙が出るし、悲しすぎる時、空しい時ほど自嘲的に

  笑いがもれるものだと思う。皮肉にも反比例しているものだと

  彼は言いたかったのではないか。

  まさにこの戯曲を読んでいると、笑えてくる。リア王が末娘の

  言動に怒り、追放する理由も実に馬鹿げている。現況も馬鹿

  げているし、人物たちも簡単な性格である。「ハムレット」もまさ

  にそうだが、しかしこっちは理由がまだ正統である。最後には

  すべて死ぬが、この作品ではそういうわけではない。

  シェイクスピアの戯曲はすべて内容が暗い。しかし笑えるのは

  出てくる人物たちが個性的で狂人であることに他ならない。だか

  ら決して笑えない内容ではあるが、ダークではないのだ。ダーク

  ユーモアとも少し違うような気がする。別にふざけているわけでも

  なければ、太宰やチェーホフのように面白く描いているわけでも

  ない。だから笑えてもユーモラスではないのだ。

  個々的に見ていけば、一人一人がかわいそうな人間である。王

  という権威に溺れ、自分のことしか考えず、周りの善し悪しも解ら

  ないリア王。父を心より愛しているのにも関わらず、利巧すぎて

  追放されてしまうコーディーリア。自分の利益のことしか考えず、

  悪知恵を働かし、父王を疎外する、しかしある程度の常識を持ち

  合わせている二人の姉。そしてそれらに関わってくるあらゆる人物

  たち。しかしそれぞれが狂人と化し、破滅的に自嘲的に生きていく

  姿が異様でおかしい。だいたい自分の娘に、狂ってしまえ、呪われ

  てしまえなどと言う父親がいるだろうか。この狂人たちは教養がない

  という割りにはひじょうに詩的である。これは戯曲だからある程度仕

  方ないが、しつこい程に歌を唄い、詩を口ずさんでいる。

  この作品は、シェイクスピアの四大悲劇の一つとしてとても有名であ

  る。「リア王」は「マクベス」の速さと「ハムレット」の悠々たる長さとを

  兼ね備えた強大な作品である。人類の寓意劇と呼ばれてもいる。シェ

  イクスピアの有名な批評家ブラッドレーが次のようなことを作品に対し

  て述べている。

  「この劇の究極的な効果は、芸術の極限とも言えるほどの高みにまで

  おし進められた憐憫と恐怖が、秩序と美の感覚と巧みに融合し、私た

  ちは遂には憂慮でも、ましてや絶望でもない、苦痛の中の偉大さという

  意識、私たちには測り知れぬ神秘がもつ荘厳さの意識に至るという点

  にあるのだ」とある。確かに読んでみると、この意味がよく解る気がする。

  悲劇の中の偉大さという尊さみたいなものを味わえる。

  彼の文章は表現(表情)によってとても生き生きしたものと化している。

  この人は、ひじょうに言葉が巧い。文章というよりも単語に近い、それは

  彼独特の「言葉」というものが簡潔で、すっきりしてて信をついているから

  であろう。だからこそ、各戯曲から有名になるような言葉が出るのであろう。

  それだけ言葉で遊ぶのが巧いのだろう。チェーホフも素晴しい戯曲をいくつ

  も書いているが、彼とはかなり違う。チェーホフの場合、とても真面目である。

  悲劇は悲劇でしかなく、ひじょうに難しい。だが、表現(言葉)がひじょうに

  凝っていて洒落ている。一つ一つの会話に重みとユーモアをつけている。そ

  れがひじょうに美しい調和を生んでいる。しかし、シェイクスピアの場合は、言

  葉で遊び、表現でも遊び、そして場面、場面のリズムが良い。実に軽やかに

  テンポ良く、スムーズに読んでゆける。

  ただ軽く読んでしまえば、悲劇なのになぜか笑えて、出てくるのは狂人ばか

  りで、ミュージカルみたいに面白いとだけ思ってしまうが、もっと深く読めば悲

  劇の偉大さの中に織り込まれている心意によって、人間の不誠実・愛・真実・

  信頼といったものが見えてくる。世界の天才といわれるだけあるなとつくづく

  感じる。





   毎度、独断と偏見で綴ったものですので、ご了承下さいね。

   シェイクスピアは大好きなのですよ 絵文字名を入力してください








  ※このカテゴリのタイトル名は、サザンの曲「ビッグスターの

   悲劇」から拝借しています  クリスマス

 


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青春が風と共に
   「兎の眼」を読んで



 昔読んだ時の感想です。



  「兎の眼」

    作者:灰谷健次郎


 神木 あらすじ 神木

 本当の教育とは何か? 新任女教師小谷先生は、

 子供達との交流の中で、力強い希望と、生きる

 ことの意味を学んでゆく。大阪の工業地帯を舞

 台に、辛い過去を背負って生きるバクじいさん、

 教員ヤクザ足立先生など、魅力的な人物が織り

 なす人間賛歌。荒廃する教育現場、断絶の深ま

 る家庭にあって、人の心の触れ合いを信じる灰

 谷文学は読まれ続ける。親と子の熱い共感を呼

 ぶ感動の長編。



 ハロウィン 感想 ハロウィン

 彼の小説は読みやすい。それもそのはず、彼は

 児童文学者でもあるからだ。大人だけではなく、

 子供たちにも読みやすい作品が彼の持ち味といっ

 てもいい。小学校の教科書にもいくつか作品が

 載っていたから知らない人はいないだろう。

 もともと私の夢は教師だったこともあり、この

 小説は私の「教科書」のような存在になった。

 主人公の小谷先生は純粋で初々しく、情熱に溢

 れている。まさしく教師という職業に憧れてい

 た新人先生そのものだ。その眼には楽しい未来

 が広がっていて、希望に満ち溢れ、夢に膨らん

 でいる。でも現実は違う。様々な子供たちがいる。

 裕福な子もいればこの小説の舞台にもなってい

 る、工業地帯の貧しい子たちもいる。貧困の差

 だけでなく、家庭環境も実に様々だ。親子の縁

 が薄い家庭もある。そういった一人ひとり環境

 や価値観の違う子供たちに接してゆくに従って、

 小谷先生は変わってゆく。

 現実を目の当たりにして、理想だけではなく、現

 状を明らかに見る勇気、そして子供たちを愛す

 る心。新人である女教師が心の成長を遂げてゆく。

 この小説は、そんな彼女の日記でもあるのだ。

 だから私は彼女の気持ちに同化した。私にも教師

 という職業に純粋に憧れや理想を抱いていたから

 だ。いわば彼女は私自身であり、読者自身でもあ

 る。傷つき、葛藤しながらも成長してゆく姿は心

 が熱くなる。そして同時に教育現場の難しさ、平

 等さ、純真さを考えさせられる。

 そしてなんといっても、足立先生の存在。彼は型

 破りで、大胆で剛勇な性格だ。その大らかさは子

 供たちのヒーロー的存在であり、仲間でもあり、

 人生の先輩でもあり、先生だ。周りの大人たちが

 子供たちの敏感な気持ちの変化に気づかない中、

 足立先生はそんな子供たちの一番の理解者であり、

 父親のような存在だ。小谷先生も最初は足立先生

 に多少の反発や戸惑いを感じるが、次第に子供た

 ちと同じく彼の人柄に惹かれてゆく。教師とはど

 うあるべきなのか、教師とはどうしてゆくべきな

 のか、小谷先生はその根底ともいえるべき大切な

 感情を足立先生の態度や言葉、子供たちとの交流

 により学んでゆくのだ。

 この作品を読んだら、きっと誰しもが足立先生の

 大ファンになるだろう。それだけ彼は魅力的で、

 子供たちから愛された先生なのだ。

 教師としての理想を高くもつことは必要だ。でも

 一番大事なのは、いかに現実を見据えていく眼力

 があるかどうかだ。一生懸命生きている子供たち

 に真剣に対峙する思いだ。

 それはひじょうに難しいことでもあるけれど、先

 生と呼ばれる立場にある者は、その気持ちを忘れ

 ずに持ち続けることが重要だと思う。

 灰谷ワールドは、まさにそのことを我々に教え、

 訴えている世界だ。

 子供や母親だけでなく、たくさんの人が彼の文学

 を読むべきだと思う。














    ※このカテゴリのタイトル名は、サザンの曲

     「本当は怖い愛とロマンス」の歌詞の一節

     から拝借しています  











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仲間を裏切って
   わが友ヒットラー を読んで。


 また昔読んだ本の感想文を載せてみようと思います。

 


   「わが友ヒットラー」

          作者:三島由紀夫



  ぽとくん あらすじ ぽとくん

 独裁政権誕生前夜の運命的な数日間を再現し、狂気と権力

 構造を浮き彫りにした作品。戯曲。


  ペンギン 感想 ペンギン 

 この作品は、同じ戯曲でもある「サド侯爵夫人」と比較でき

 る作品である。サドが女性だけで構成されている劇だとすれ

 ば、こちらは逆に男性だけの劇でできている。また歴史的に

 いっても、どちらも名前が知れている程の人物を取り上げて

 いる。

 この作品もサドと同じようにとても素晴らしいものだと思う。

 私は、サドとこの作品を比べた時、こちらの方が怖いなと感

 じた。この話は題名からも分かる通り、「友」をメインとし

 ている。だから心温まる話を想像してしまう。しかし、この

 話はそんな生易しいものではなく、もっと複雑で寂しいもの

 となっている。あらためて友というもの、人間というものを

 考えさせられる内容である。

 登場している人物たちは、みな詩的である。それが全て男性

 と考えると、少し奇妙な感じがして、不気味にも思えるが、

 内容がダークで裏切りや本当の真実といったことをテーマに

 しているので、読んでいく内にそのおかしさが消えて怖くなっ

 てくる。ヒットラーを真の友と疑わず、昔の栄華を愛し、軍

 人として生きているレーム。その一途な一方的な友情をうっ

 とおしく感じ、ある時は嫌悪感を持つヒットラー。結局は、

 レームの信頼を裏切り、彼を殺してしまう。恐らく彼もレー

 ムのことが好きだったろう。嫌悪感を抱くとはいってもそれ

 は一瞬のこと。唯一の昔からの仲間であり、政治抜きで語り

 合えた友を殺さなければいけない境地に立たされてしまった

 ヒットラーは、とてもかわいそうだと思う。しかしまた、殺

 すことを命じたのが友ではないと信じて疑わずに死んでしまっ

 たレームも、ヒットラーに負けずとてもかわいそうだ。

 この事件によって、ヒットラーは苦しんだろう。死ぬ最後の

 瞬間まで決して自分を疑わなかったレームに対して、罪悪感

 を覚えたことだろう。これは、無論実話だが、ヒットラーは

 毎夜彼の夢を見てはうなされ、泣いたという。しかし、逆に

 いってしまえば、このレームがいなくなったおかげで重荷が

 取れたのも事実だろう。政治をやってゆく上で、どうしても

 邪魔な存在でしかなかった彼、そうして口に出す言葉といえ

 ば昔の自分と友。それらの口には出さないが「友情」という

 束縛からやっと解かれたヒットラーは、もしかしたらレーム

 が生きていた時よりもいなくなってからの方が良い顔になった

 かも知れない。

 この戯曲の素晴らしい点は、ヒットラーの心の表現の仕方である。

 実に繊細で政治家というよりはむしろ芸術家的な思考と行動を

 持ったヒットラーは、怖いというイメージはもちろんあるが、

 それよりも孤独・寂しさ・やり切れなさといったものが感じら

 れる。レームに対しては、どうしてもっと利巧な生き方ができ

 なかったのかと思う。もっと現実を見、巧く生きてゆくことが

 できたならば、このような事件は起きなかったろう。それがこ

 の男の儚さでもあり、純情さでもあるのだろう。

 いかにこの時代が狂い、人間味を失い、裏切りと恐怖と猜疑心

 の塊だけであったかがこの作品から伺われる。こんな時代に人

 を信じるという行為は果たして成りえないものなのだろうか。

 この作品は、その疑問も我々に投げかけているように感じる。

 まさに狂気と権力の構造を浮き彫りにしている内容だろう。

 これも「時代だった」というには、あまりにも悲しい。

 儚い事件を引き起こしてしまったのは、やはりレームの方で

 あろう。彼の純粋さが沈黙の束縛という凶器になって、ヒッ

 トラーを無意識の内に自分を裏切らせる、殺させる方向へと

 自らが導いてしまったのだろう。






 以前に「サド侯爵夫人」の感想を載せましたが、今日は同じ

 戯曲で、一冊としてまとまっているもう一方の戯曲について

 感想を載せてみました。

 これもそうとう昔の文章です。なので、いまいち意味不明な

 感が否めませんが、まあ、さらっと流し読みしてくれればと

 思います。

 三島の戯曲はなかなか面白いです。心情が見えそうで見えな

 いような、悲劇性があるけど、強い精神力を感じたり・・・。

 よかったら一度、読んでみて下さいな 本

 戯曲なんで、そんなに長くないですし。割と読みやすいと

 思います ホッと一息














   ※このカテゴリのタイトル名は、サザンの曲「HONKY JILL~

    69(あいなめ)のブルース」から拝借しています   








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風凍る陳腐な青春
   「限りなく透明に近いブルー」を読んで



 村上龍の作品です。

 昔書いた感想です。



   作者:村上龍


 抹茶パフェあらすじ抹茶パフェ

  舞台は東京、基地の町、福生。ここにあるアパートの

 一室、通称ハウスで主人公リュウや複数の男女はクスリ、

 LSD、セックス、暴力、兵士との交流などに明け暮れ生活

 している。 明日、何か変ったことがおこるわけでも、何かを

 探していたり、期待しているわけでもない。リュウは仲間達

 の行為を客観的に見続け、彼らはハウスを中心にただただ

 荒廃していく。 そしていつの間にかハウスからは仲間達は

 去っていき、リュウの目にはいつか見た幻覚が鳥として見えた。



 鯉のぼり感想鯉のぼり

  正直言って気分が悪くなるような小説だと思った。描かれ

  ていることは、日常的に繰り返される麻薬とセックスの宴

  である。黒人や女たちとのもろくて哀しい絆しかない。描写

  も生々しくてあまり良い印象を持てない。

  村上は、映画を自ら撮っているだけあって場面、場面が実

  に流れるような画的なものだと思う。但し、文章はあまり巧

  くはない。映像としては素晴しいが、文章は少し雑なような

  気がする。彼はこの作品で見事、芥川賞や群像新人賞を得

  たが、それに当ってかなり論争されたらしい。これは文学で

  はなく、もはや社会問題でしかないという意見と、あまりにも

  すさまじい内容の光景を絶賛するという意見に分かれた。私

  個人の意見としては、前者であり、この作品は主題のとり方

  は良いが文学とは少しはなれていると思う。解説で今井裕康

  氏が言っているように、この作品はある意味で素通りされたの

  である。だからこそ、賞をとることができたものと思える。

  この小説で面白い点は、主人公リュウが「眼」になっていると

  いう部分である。リュウも仲間と同じようにセックス、麻薬、乱

  暴をしている。しかし、どこか他人で、意志を持ってやっている

  わけではない。そこには周りを冷静に眺めて観察している「眼」

  がある。こういったところでも画的でとても斬新である。この作

  品の中では「何かする」という行為の中に意味がまったく描か

  れていない。そういった細かい部分を全て除いている。だから

  リュウの行為に一種の静かさがあり、眼という役割を果たし、全

  てが等質となっている。理由がなく意味があるようでないとい

  う描写は、まさに映画そのものである。だから最後まで読んで

  も、この作品が一体何を本当に言いたかったのかが解らない。

  無論、暗喩として日本とアメリカの位置関係、協調性がなく、も

  ろい絆によって繋がっている哀しい友情と毎日のスキャンダラス

  な日々の無関心とやる気のない青春というものを描いている。

  しかし、それだけとしかとれず、深い意味がまったくない。ラスト

  シーンで出てくる「鳥」と「ガラス」にしても確かに意味を含んで

  いる暗示となっているが、しかしそれだけのことで、それがどう

  いうことなのかがまったく描かれていない。要するに、作者の声・

  言葉がどこにも見当たらないのだ。

  「鳥」=現代社会を、その構造を示唆しているのは明らかである。

  また、「透明に近いガラス」=このような清らかで澄んだ人に自

  分もなってゆきたいという切実な願望ということもよく解る。しかし

  肝心な作者の意見がないので、全て意味のないもの、薄っぺらい

  小説、味のない作品と思えてしまうのだ。

  この人は、小説を描くよりも詩や映画を作った方が合っているよ

  うな気がする。小説には不向きである。詩の方がよほど面白いに

  違いないと思う。

  この小説では、現実的なものが非現実に、非現実なものが、現実

  的に見える。おそらく村上は、その逆説を主題にもってきているの

  だろうと思うが、しかしそれはあまり成功していないと思う。この作

  品はやはり文学的作品というよりも社会的問題小説と言える作品

  であると思う。

 





 この小説、読んだ人いますか?

 私の中では一度で充分と思える内容でした。

 発想や視点は感心するんですけど・・・

 特に女性にはお勧めできません。

 それぐらい、内容が生々しくてすごいです。

 ある意味、気分が悪くなります・・・

 この作品好きな方いたら、すみません・・・ 土下座

 あくまでも私の感想なので。

 あしからずです あせ ぬりかべ8








  ※このカテゴリのタイトル名は、サザンの曲「鏡」の

   歌詞の一節から拝借しています  板チョコ


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彷徨う男の魂を誘うワルキューレ 2
   「サド侯爵夫人」を読んで


 読書感想です。またしても、かな~り昔に読んだ本で

 日記を公開してみます。私観なので。あくまでも。


    「サド侯爵夫人」

          作者:三島 由紀夫

  チューリップ あらすじ チューリップ

 獄に繋がれたサド侯爵を待ち続け、庇い続けて老いた

 貞淑な妻ルネを突然離婚に駆り立てたものは何か?

 --- 悪徳の名を負うて天国の裏階段をのぼったサ

 ド侯爵を六人の女性に語らせ、人間性にひそむ不可思

 議な謎をかいている作品。



  いちご5 感想 いちご5

 まず疑問に思うのが、何故主題をサド自身ではなく、そ

 の夫人にしたのか。しかし彼女を主人公にしたお陰で、

 興味がかなり湧くように感じる。三島は、良い点に主題を

 持ってきたなと思う。一見見失いがちな夫人の存在。それ

 をこと細やかに巧みに描いている。改めて彼の描写力に

 感動する思いだ。

 この小説のもう一つの面白さは、サド自身が出てこないと

 いう点である。つまり、全ての場面を女性6人だけで構成し

 ている。それがひじょうに面白い。6人の女性たちもとても個

 性的で見ていて飽きない。

 三島は、この6人の女性たちに人間が持っている不可思議

 なものを語らせている。性(肉欲)が全てと考えるサン・フォン

 伯夫人。信仰(この場合は神)が全てと考えるシミアーヌ男爵

 夫人。名誉や家名という世間を気にするモントルイユ夫人。気

 ままに思った通りに、世渡り上手に生きているアンヌ。夫の奇

 妙な性格に何故か心を惹かれ、自分=サドだと思い、世評を

 気にもせず、一種同情の激しい、一生を貞淑な妻としてきた妻。

 これらの人たちを傍目で批評し、常に冷静な態度で生活してい

 るシャルロット。彼女らの性格そのものは、社会的問題といって

 もそう過言ではないと思う。もっと大きく分けてみれば、肉欲・

 信仰・名誉・それらに束縛されない心・貞淑・世評。これらを三島

 は巧く彼女たちを使って語っている。

 私がこの話を読んで、三島をすごいなと思ったのはただ単に主題

 の面白さや描写や話の工夫だけでなく、戯曲の巧さにも感動した

 からである。実際にこの劇を見てみたいと思う。

 しかし、不思議なのは夫を真実化し、貞淑な妻であったルネがサド

 が出獄してきた途端、別れてしまったのは何故だろうという点だ。

 確かに何十年も経っているのだから、風采も昔よりは落ちているだ

 ろうし、何よりも獄にいたのだから、苦労もし、年よりも老けた風体

 になってしまっただろう。ルネはそれだけで別れてしまったのだろう

 か。私が思うに、ルネはサドの妻として出獄するまでは自分の努め

 だと思ってきたのではないか、あるいは出獄してからもルネは夫と

 別れるつもりはなかったのかもしれない。しかし、彼を見た途端(昔

 の彼ではなく、だいぶ落ちぶれた)、何かがはじけたのではないか。

 彼女の中で何がはじけたのかは解らないが、「昔と今とではもう違

 う! 」と感覚が彼女に訴えたのではないか。だから根拠は別段ない

 ように感じる。人間意味もなく精神的に会いたくないとか、一緒にいた

 くないなどと感じることがある。それはひじょうに説明のつかないもので、

 「感覚」としか表現できない気がする。この場合、下手に理由を見つけ

 てこじつけるよりも、このように解釈した方がルネの人間性をあまり壊さ

 なくて済むと思う。

 そう思う意味では、最後のシーンは良かったと思う。ルネの気持ちが解

 るようでいて、解らないようにしてある所がにくい。軽く読み流してしまえ

 ば、夫の風体に落胆し、異常が典型的に変わったことへの怒りと悲しみ

 で別れてしまったのではないかと思えるが、もっと深く読めば感覚的問

 題という見方ができる。三島はルネを壊さないように、わざとどちらでも解

 釈できるように設定したのではないかと思う。そこに彼の戯曲の巧さが

 表れている。



 
   この作品は、小説ではなく戯曲になっています。実に多彩な三島。

   サド侯爵は実在した人物であり、妻ルネも同様。そして、出獄後に

   離婚したのも事実です。

   サド侯爵がどんな人物で、なぜ獄に入っていたのかはみなさんご

   存知ですよね?





  ※このカテゴリのタイトル名は、サザンの曲「リボンの騎士」の

    歌詞の一節から拝借しています  無責任大倉




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