月の木漏れ陽亭
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言葉にならない痛みに震えて
   歴史はミステリー ~検証ファイル・中世の魔女狩り ②



 罪はどのように立証されたのだろうか?



 さとと-キャンドル 通説 さとと-キャンドル

 当時の裁判所の記録には、「悪魔と契約した」というものが

 もっとも多い。それに続き、悪魔との性交、夜間の空中飛行、

 「サバト(魔宴)」と呼ばれる悪魔集会への参加などが多い。

 サバトの場所としてよく知られるのは、ドイツのブロッケン

 山である。サバトでは、魔女が集結すると灯がともされ、魔

 王は山羊、犬などの姿となって、王座に着席する。魔女たち

 は、魔王に黒い蝋燭と嬰児(えいじ)のへその緒などを捧げ、

 魔王の臀部(でんぶ)に接吻して忠誠を誓ったとされる。ただ

 しサバトは、地域によって形態が異なっているという。

 悪天候もまた、魔女たちの仕業と考えられていた。特に1580~

 1590年にかけては、悪天候の影響で農作物の不作が続いた

 ためにすべて魔女たちの仕業だと言われていた。1588年6月

 には、バイエルン地方のションガウで起きた激しい嵐により、

 穀物が多大な被害を受け、63人の魔女たちが処刑されている。

 また雷や雪崩、氷河の破裂といった自然現象も魔女の仕業

 と信じられていた。さらには、人間や家畜の死、疫病や怪我、

 伝染病の流行なども魔女の仕業とされ、これらをもたらす女

 性は「実害魔女」と呼ばれていた。



 さとと-クリスマスプレゼント 検証 さとと-クリスマスプレゼント

 魔女裁判において、物的証拠が示されたことは皆無である。

 では、なぜ犠牲者は有罪とされたのであろうか。

 それは、残酷な拷問によって自白を強要され、罪が捏造さ

 れたからに他ならない。ひとりがサバトへの参加を認めて

 しまえば、他の参加者の名前をあげさせられ、芋づる式に

 魔女が作り出されていったのだ。つまり魔女裁判はすべて

 でっちあげだったのだ。

 1487年にヤーコプ・シュプレンゲルが著した「魔女の槌」は、

 拷問の方法について具体的に説明している。たとえば「自

 白すれば、命を許してやる」と約束し、自白した後の処理

 法として、水とパンだけを与え、死ぬまで牢獄に監禁した

 り、当分の間は処刑せずに監禁しておき、その後で処刑

 したり、担当裁判官を交代させ、交代した裁判官が死刑
 
 の判決をしたり、とった詐欺まがいの方法が詳細に紹介

 されている。

 拷問は、数段階に分かれていたが、拷問を繰り返すこと

 は許されず、自白しないで全段階を耐え抜いた者には無

 罪放免にしなければならないという決まりがあった。だが

 実際に無罪放免となる例はまれだった。

 最初の拷問の段階は、容疑者を裸にし、拷問具を見せつ

 けて威嚇する。そして身体を縛り上げ、鞭で打ち、肉が裂

 けるほど指をネジで締め付け、拷問台に寝かせ、四肢を

 四方からひっぱる。

 そして次の段階では、脛の骨が砕けるまでマンリキで締

 め上げる「骨砕き」などへとエスカレートしてゆく。また、

 こうした過酷な拷問だけでなく、「自白すれば、生きなが

 らの火刑ははやめてやろう」と、処刑方法と引き換えに

 自白を迫るケースもあった。

 魔女の処刑は、夏の晴れた日を選んで行われ、公開

 された。各地から見物人が集まり、一大イベントの様相

 を呈していたという。

 魔女裁判の全盛期、ドイツのイエズス会士フリードリッヒ・

 シュペー
(1591~1635)は、捏造による裁判を告発する

 ため「魔女裁判の警告書」を出版したが、その主張は葬

 り去られた。






 怖い! 怖い!

 当時の様子を知ると、本当に恐ろしいですね。

 あらゆる負の引責を魔女に押し付けてしまっている。これが

 本当に起こっていたことなんだから人間のすることは恐ろし

 い。日本にまでこんなものが広まらずに済んだことは、幸せ

 だ。魔女として生贄にされた女たちはどれほど無念の内に

 死んで行っただろうか。中には家族や子供もいる女性もあっ

 ただろうに。

 文明や科学がまだ未発達だった時代、天災や災害がなぜ起

 こるのか、人々はさぞかし不安や恐怖を覚えただろう。どの

 世代であってもそういう時が訪れると、生贄を作ってしまう。

 何かのせいにしなければ心の均等を得られなかったのかも

 知れない。それにしても残酷だ。

 そしてその事実を隠そうとし続ける教会を遺憾に思う。

 宗教は偉大だ。人を救う。魂を浄化させる。だからこそ、真実

 を受け止めることが大切なのではないか?

 人は懺悔なくしては生きていけないのだから。様々な贖罪を

 抱えて生きているのだから。先祖がやってきてしまったことも

 すべて含めて、認めること。そこに真の赦しがあるのではない

 か? 大事なのは、これからどのように生きていくかということ

 であって、過去の過ちを消滅することではない。

 人は過ちがあってこそ、悔い改め、精進し、進化してゆけるの

 だから。それを主張してゆくべき姿が宗教なのではないか。

 と思う。

 まだ続きます。















  ※このカテゴリのタイトル名は、サザンの曲「哀しみのプリズナー」

    の歌詞の一節から拝借しています  





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血塗る心理ゾーン
   歴史はミステリー ~検証ファイル・中世の魔女狩り ①


 
 魔女狩りって有名ですよね 魔女っ子

 罪もない普通の女でも何かしらの罪状を重ねられ

 火あぶりになったり、今でいうところの薬剤師のよ

 うな職業の女性、または占い師なんかが悪魔の手

 先といわれ裁判にかけられて殺されたり・・・ ばい菌

 私の中のイメージではこんな感じです。

 もう少し詳しく知りたいと思い、文献や書物などを紐

 解きながら、通説と検証をしてみたいと思います!




 魔女の概念は古代からあったそうです。旧約聖書「エ

 ジプト記」には、「呪術を使う女は生かしておいてはな

 らない」という記述が見られる。教会は魔女の存在を

 否定してきたが、中世になると魔女の持つ力が悪魔

 から与えられているという考え方が強まり、それがや

 がて教会が異端者に対して行った「異教裁判」と結び

 ついて、魔女狩りの起源となったといわれる。

 12世紀以降、異端とされたカタリ派が一勢力になりつ

 つあったという。そこで、1198年に即位した教皇インノ

 ケンティウス3世は十字軍を組織し、同派の壊滅を命

 じた。さらに1233年には教皇グレゴリウス9世が「異端

 審問官」を制度化し、異端の疑いのある人間を裁判に

 かけ、必要な場合には軍事力を行使するも可能だった。

 そして1318年、悪名高い教皇ヨハネス22世は異端者

 と魔女とを同一視し、すべての宗派の異端審問官に対

 して、「いつでもどこでも裁判を行い、判決する権利を与

 える」と言明する。この政策が、後に起こる魔女狩りとい

 う狂気を正当化してしまう。

 

  チェリンボ 通説 チェリンボ

 「暗黒時代」とも形容される時代ゆえに、魔女狩りのイメー

 ジは当時全盛だったカトリック教会の暗部と結びつけられ

 てきた。また、「魔女」という非科学的な存在が人々に信

 じられていたという事実が、ルネサンスおよび宗教改革以

 降の「近世」という時代にそぐなわない。

 魔女狩りの犠牲者はどれほどいたのだろうか・・・。

 西南ドイツで起こった魔女狩りの調査を行ったエリック博士

 は、1561~1670年のおよそ1世紀の間に、最低3229人が

 処刑されたと見ている。また、ドイツの小さな村オーバーマ

 ルクタールでは、1586~1588年のわずか3年間に、43人

 の女性と11人の男性が処刑されたと算定している。

 このような各地域での調査ならびに推定を計算した結果、

 ヨーロッパ全体で数百万人が魔女狩りの犠牲になったとみ

 られている。



  らすかる 検証 らすかる

 魔女狩りがもっとも加熱したのは、実は中世ではなく近世

 であることがわかった。最盛期は16~17世紀で、それをさ

 らに限定すると、1590年代、1630年前後、1660年代などが

 ピークであった。

 地域別に見ると、プロイセンでは1714年にフリードリッヒ・ヴィ

 ルヘルム1世が魔女裁判を禁止するまで続いた。さらに、ス

 イスでは1782年に、ポーランドでは1793年に魔女狩りが行

 われたという記録が残っている。

 魔女狩りを、カトリック世界だけに限定するのは誤りで、宗教

 改革以降のプロテスタントの国でも頻発していた。たとえば、

 宗教改革前には処刑された魔女が一人もいなかったスコット

 ランドでは、改革後に処刑者が増大している。

 宗教改革の立役者であるマルティン・ルターもジャン・カルヴァ

 ン
も、魔女の実在をかたく信じている。特にルターは

 「私は魔女を皆殺しにしたい」と激しい言葉を残しているほど

 で、1540年には実際にヴィテルベルクで魔女を処刑している。

 カルヴァンも魔女の焚殺(ふんさつ)を推奨していたという。ま

 た、プロテスタント・メソジスト派教会の創設者ジョン・ウェズリー
 
 は、1768年5月に「魔女を黙殺することは聖書を黙殺するに等

 しい」と記している。

 「ヨーロッパの魔女狩り」という表現も実は正確、ではない。16

 92年には、アメリカ・マサチューセッツ州のボストン郊外セーラム

 で魔女狩り旋風が吹き荒れ、短期間で約200人も魔女として告

 発され、19人が処刑されている。

 近年では、魔女狩りの実証的研究が進み、かなりのデータが整

 い、古文書に基づいた綿密な研究も進展している。その結果、数

 百万人という犠牲者数はほぼ否定されている。現在では、もっと

 も信憑性のある数字としては、「近代初期ヨーロッパの魔女狩り」

 を著したブライアン・レヴァックの統計である。その数字は、告発さ

 れたのは11万人、死亡が6万人。



  ※カタリ派~ギリシャ語の「カタロス」(清浄なものという意)に

          由来し、きわめて禁欲的な戒律を信奉した。






 なぜこんなにも狂気的になっていってしまったのか。

 たかだか信仰心の違いで。それも大幅に違うわけでもない。

 起源はきっと一緒なのだと思うし、そこから枝分かれした宗教な

 のだろう。どこの国でもそうだけど、一番上に立つ者がどういう采

 配を振るうのか、判断するのか、そこの一点。

 私は聖書は読んだことないけれど、なんにしたって読み違えてし

 まったら怖い。「魔女」という存在を信じることに罪はないけれど、

 見境なく決め付けて、否定して、亡き者にするのは間違っている

 と思う。

 びっくりしたのが、魔女狩りの時期! 中世の話かと思っていたら

 近代でもあったなんて・・・さらに、その時期の方が頻繁に起こって

 いたなんて・・・これはかなりのショックですね 有

 人は何かを犠牲に見立てなければ安心しない動物なのか・・・

 宗教が引き起こす憐れな歴史。でも、現代の私たちはそこに目を

 瞑るのではなく、しっかりと先人たちの許されない罪を見ることが

 大事なのではないか、と思う。そしてそこから色んなことを思い、考

 えてゆくことが必要なのだと、思う。

 

 では、また次回続きます ドコモダケ














 ※このカテゴリのタイトル名は、サザンの曲「ホリデイ~スリラー

   ’魔の休日より’より」」の歌詞の一節から拝借しています 











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