月の木漏れ陽亭
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彷徨う男の魂を誘うワルキューレ
   「仮面の告白」を読んで


  ・ム・タ 「仮面の告白」

        作者:三島由紀夫




  すすすうういお あらすじ すすすうういお
 
       女性に対して不能であることを発見した

       青年が、幼年時代からの自分の姿を丹念

       に追求するという設定のもとに、近代の宿命

       の象徴としての‘否定に呪われたナルシシ

       ズム‘
を開示してみせた本書は、三島由紀夫

       の文学的出発をなすばかりでなく、その後の

       生涯と文学の全てを予見し包含した戦後

       文学の代表的名作である。



 、螯rヲW、J、O 感想 、螯rヲW、J、O

  「私は無益で精巧な一個の逆説だ」というセリフで有名

  なこの小説は、実に難しい。彼の小説は全て難解で私の

  ような無学で無智なものには、理解するのは到底困難な

 ことである。が、その難しさが彼の魅力に繋がっているの

 だろう。

 この小説を読むに当たって、まず考えなければならぬのが

 題名である。何故、「仮面」なのか。告白というからには、

 今まで隠しとおしてきた内面のもの、謂わば、素顔では

 ないか。しかし、彼はわざと「仮面」と付けた。

 まずこの点に興味がゆく。私同様大方の読者ならば、

 必ず持つ疑問だろう。

 この小説は、三島の自伝的要素が濃い。無論、全部

 そうだとは言い切れないだろうが、多分に彼の幼少

 からの考えを述べていると見える。福田恆存が解説で

 仮面という言葉についてこう述べている。

 「三島の若い豊かな才能は仮面を仮面と自覚せずに、

 ただ扮装慾の興味にかられ、演技の欲求にひきずり

 まわされて、仮面そのものをもてあそんできた結果、

 長ずるにおよんでそれがようやく素面にくいこんできた

 からではないか。いいかえれば、仮面をかぶろうとする

 要求そのものに、三島は素面の自己を発見せずには

 いられなかった」


 なるほど。これは的を得ている評論かもしれない。要

 するに素顔を隠し、人に合わせる(建て前)ことを好ん

 できて、ふと、「本当の自分とは何だろう? 」という

 壁にぶつかった時に、仮面をかぶることによって己を

 探そうとする欲求、自己探求というものが自然と働い

 たということを言いたいのではないか。小説の中にも

 「人の目に私の演技と映るものが私にとっては本質に

 還ろうという要求の表れであり、人の目に自然な私と

 映るものこそ私の演技であるというメカニズムをこの

 ころからおぼろげに私は理解しはじめていた」


 とある。まさに逆説だ。この逆を行うことによって、本質を

 探ろうとした彼は常人では理解できぬ凄さがある。

 仮面説はとても難しい。中々に理解に苦しむが彼がとに

 かく頭の切れる人間ということは解る。それだけに文章も

 難しい。小学生や中学生にはとうてい読破するのは困難

 だろう。どこか政治的だし、心理的である。そしてなにしろ

 濃厚だ。特に性的場面は凄い。人間が持っている本能と

 もいうべき性質・本質が巧く描かれている。ある意味、成人

 小説を読むより余程、エッチだ。

 谷崎潤一郎も三島に劣らず、そういった場面は見事である。

 流石に耽美派だと思う。しかし、この二人似ているようで、

 まったく似ていない。それは恐らくこの二人が持っている

 それぞれの美に対しての考え方が異なっているからであろう。

 無論、主義も文体も似ていないということもあるが。谷崎の

 場合、美イコール女人であり、感覚的で、エロチックで、崇拝

 的である。が、三島はそうではない。彼の場合、美=女人と

 いう一つのものに固定した観念がまず無い。
 
 そうして、実に論理的に分解し、追究し、説明している。彼が

 見る美とは、本質的なものなのである。彼の一家は、無論

 三島自身も含めて、政治家なので、そんな中で育った彼が

 論理的に成長するのは無理のないことだ。

 しかしこの小説の中で、可哀想なのは園子である。彼女を

 本気にさせたのは「私」であるのに、容易く彼女を振り、

 園子がその後、結婚し、偶然にも再会した時、また交際を

 始める。それによって園子はまたも「私」に好意を持ち始め

 てしまっている。これは「私」の罪だ。しかし、それでも女を

 肉体的に愛せないのは悲劇だろう。「私」は、決して園子を

 愛していない訳ではない。ただ、それが常人が考えるよう

 な俗なものではなく、もっと神聖で初々しい、神秘なもの

 なのだ。それは、親友、兄妹愛というようなものに似ている

 のかもしれない。






 昔書いた感想なんだけど。

 あくまでも、私なりの観点から書いたものなので

 ご了承下さいませ 絵文字名を入力してください

 色んな解釈があると思いますしね。

 この作品、まだ読んだ事なければ、

 是非ご覧あそばせ スマイル





     ※このカテゴリのタイトル名は、サザンの原

      由子さんの曲「リボンの騎士」の歌詞の一節

      から拝借してます ・マ・ミゥ`・ャゥ`




     
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COMMENT

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こんにちは~
ほんじゃけ | URL | 2008-07-05-Sat 13:31 [EDIT]
若い頃、辞書をひきながら読みました。
真実ってナンだろうッて、思った、 かナ~?
管理人のみ閲覧できます
| | 2008-07-08-Tue 11:14 [EDIT]
このコメントは管理人のみ閲覧できます

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