月の木漏れ陽亭
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魂のBlues
   小説家に学ぶ~ 太宰治 ①


 今日は私の最も大好きな作家、太宰治氏について

 語ってみようと思う。

 有名なので、名前はもちろんのこと、おそらくどんな

 人でも彼の作品の一つは知っているだろう。

 その最有力といえば、やはり「走れメロス」。もしく

 は「人間失格」だろう。

 彼の人生については、何度も自殺未遂を繰り返し、

 あげくに女性と心中した人というのが一般的な見解

 だろうと思う。それでは太宰はいったい、どんな人物

 であったのか。なぜ、自殺を繰り返したのか、どんな

 作品を世に残したのか、どんな生活をしていたのか、

 など自分のわかる範囲でちょっとまとめてみようと思う。



 睡蓮(赤) 経歴 睡蓮(赤)
 
 太宰 治は、1909年(明治42年)6月19日に青森県
 
 北津軽郡金木村(現在の青森県五所川原市、旧北

 津軽郡金木町)に、県下有数の大地主である津島

 源右衛門(1871-1923)、タ子(たね)(1873-1942)

 の6男として生まれた。二人の間には11人の子供が

 おり、10番目であった(但し、太宰が生まれた時点で

 すでに長兄・次兄は他界)。父・源右衛門は木造村の

 豪農松木家からの婿養子で県会議員、衆議院議員、

 多額納税による貴族院議員等をつとめた地元の名士

 であった。

 金木の生家は今は、太宰治記念館 「斜陽館」として

 公開され、国の重要文化財に指定されている。

 本名は津島修治(つしましゅうじ)。

 1933年(昭和8年)より小説の発表を始め、1935年(昭

 和10年)に「逆行」が第1回芥川賞候補となる。主な作

 品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『斜陽』『人間失格』

 など。諧謔的、破滅的な作風で、坂口安吾、石川淳など

 ともに新戯作派、無頼派とも称された。大学時代より自殺

 未遂、心中未遂を繰り返し、1948年(昭和23年)玉川上水

 にて山崎富栄(とみえ)と心中。




 アップロードファイル 学生時代 アップロードファイル

 1916年(大正5年)、金木第一尋常小学校に入学。1923

 年(大正12年)、青森県立青森中学校(現・青森県立青森

 高等学校)入学直前の3月、父が死去。

 17歳頃、習作「最後の太閤」を書き、また同人誌を発行。

 作家を志望するようになる。官立弘前高等学校文科甲類

 時代には泉鏡花や芥川龍之介の作品に傾倒すると共に、

 左翼運動に傾倒してゆく。

 1929年(昭和4年)、当時流行のプロレタリア文学の影響

 で同人誌『細胞文芸』を発行し、辻島衆二の名で作品を発

 表。 この頃は他に小菅銀吉、または本名でも文章を書い

 ている。12月、みずからの階級に悩みカルモチン自殺を図る。

 1930年(昭和5年)、弘前高等学校文科甲類を76名中46

 番の成績で卒業。フランス語を知らぬままフランス文学に

 憧れて、東京帝国大学文学部仏文学科に入学。だが、高

 水準の講義内容が全く理解できなかったうえに、非合法の

 左翼運動にのめり込み、授業にはほとんど顔を出さなかっ

 た。また、小説家になるために井伏鱒二に弟子入りする。

 この頃から本名の津島修治に変わって、太宰治を名乗るよ

 うになる。大学は留年を繰り返した挙句に授業料未納で除

 籍処分を受ける。卒業に際して口頭試問を受けたとき、教

 官の一人から、教員の名前が言えたら卒業させてやる、と

 冗談を言われたが、講義に出なかった太宰は教員の名前

 を一人も言えなかったと伝えられている。在学中に、カフェ

 の女給で人妻である田部シメ子(1912-1930)と出会い、

 鎌倉・腰越の海に投身する。だがシメ子だけが死亡し、太

 宰は生き残る。




  カゴ 小説家時代 カゴ

 芥川龍之介を敬愛し、1933年(昭和8年)、短編「列車」を

 『サンデー東奥』に発表。同人誌『海豹』に参加し、「魚服

 記」を発表。

 1935年(昭和10年)、「逆行」を『文藝』に発表。初めて同

 人誌以外の雑誌に発表したこの作品は、憧れの第1回芥

 川賞候補となったが落選してしまう。(ちなみにこのとき受

 賞したのは石川達三『蒼氓』)。選考委員であった川端康

 成から「作者、目下の生活に厭な雲あり」と私生活を評され、

 「小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派な生活なのか」

 と文芸雑誌上で反撃した。 その後、都新聞社に入社できず、

 自殺を図るが未遂。また、この年、佐藤春夫を知り師事する。

 佐藤も選考委員であり、第1回の選考時では、太宰を高く評

 価していた。第2回を太宰は期待し佐藤も太鼓判を押したが、

 結果は「受賞該当者なし」となった。第3回では仇敵であった

 川端康成にまでも選考懇願の手紙を送っているが、過去に候

 補作となった作家は選考対象から外すという規定がもうけられ

 候補にすらならなかった。 1936年(昭和11年)、前年よりのパ

 ビナール中毒が進行し治療に専念するも、処女短編集『晩年』

 を刊行。翌1937年(昭和12年)、内縁の妻小山初代(1912-19

 44)とカルモチン自殺未遂、一年間筆を絶つ。

 1938年(昭和13年)、井伏鱒二の招きで山梨県御坂峠にある

 天下茶屋を訪れ、井伏の仲人で甲府市出身の石原美知子(1

 912-1997)と結婚する。甲府市御崎町(現・朝日)に住み、精

 神的にも安定し、「富嶽百景」「駆け込み訴へ」「走れメロス」な

 どの短編を発表。戦時下も『津軽』『お伽草紙』など創作活動を

 継続。1947年(昭和22年)、没落華族を描いた長編小説『斜陽』

 が評判を呼び、流行作家となる。「斜陽族」なる言葉も流行。





 簡単に系譜を。長くなってしまったので、晩年に関しては、後述

 したいと思います。


   ※プロレタリア文学~日本文学では、大正時代末期から昭

                代初期にかけて、個人主義的な文学

                を否定し、社会主義、共産主義思想と

                結びついた文学のこと。


 太宰はれっきとしたお坊ちゃんです。父は知名度もある人物。

 恐らく彼はひじょうに繊細な子供だったのだろう。

 自分は裕福だけれども、周りはそうではない。

 自分は常にいい服を着ているけど、周りはそうではない。

 そんなことが一つ一つ重なって、心の重圧となり、左翼へと傾

 いていってしまのだろうと思う。

 
 では、次回に続きます  jumee☆paw6













 ※このカテゴリのタイトル名は、サザンの曲「大阪レディ・

  ブルース」の歌詞の一節から拝借しています  





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COMMENT

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こんばんは。
さよ | URL | 2012-07-12-Thu 22:25 [EDIT]
太宰治さん、今の画面の方が、文字がはっきりしていて読みやすかったです。面白く拝見しました。
自殺未遂を何度も繰り返し、結局心中してしまうんですね・・・。
とことん自分を追い詰めて、人間の本質なるものを掘り進めたのでしょうか・・?でも、毎日の生活に追われていたらそんな事考えもしなかったかも知れませんが・・。
猫みたいにその日その日与えられたもので満足して、飼い主に可愛がられることを喜びとしている方が、幸せのような気もしますね~単純すぎでしょうか・・(笑)
私も思う
AIジジイ | URL | 2012-07-13-Fri 00:45 [EDIT]
こんばんは
小説家に学ぶ~ 太宰治、楽しく読ませて頂きました
私が、太宰を読み始めたキッカケは
社会人になり、純文学を読むようになった時に
『走れメロス』ってどんな内容だったけ、学校で読んだはず、と思った事からでした

そこから、彼の作品を数作読み、世間で言われていた自殺を繰り返した暗い小説家とのイメージが私の中で良い意味で崩れ、彼の美しい文章に魅了され今日に至っています

私も思います、彼は凄く繊細な心の持ち主だったのではないでしょうか
ですので、色々な状況に耐えれなかったり、すぐに感化されたのではないでしょうか

次回へ続く様なので、楽しみにしています
さよさんへ
星月冬灯(ほしづき とうか) | URL | 2012-07-13-Fri 15:56 [EDIT]
こんにちは。コメント有り難うございます^^


> 太宰治さん、今の画面の方が、文字がはっきりしていて読みやすかったです。面白く拝見しました。

有り難うございます。
自分の知っていることや持ってる資料などで簡単に纏めてみました^^

> 自殺未遂を何度も繰り返し、結局心中してしまうんですね・・・。

そうなんですよね。もはや中毒です。
というより、一種の処世術であったのではないかと思えてなりません。

> とことん自分を追い詰めて、人間の本質なるものを掘り進めたのでしょうか・・?でも、毎日の生活に追われていたらそんな事考えもしなかったかも知れませんが・・。
> 猫みたいにその日その日与えられたもので満足して、飼い主に可愛がられることを喜びとしている方が、幸せのような気もしますね~単純すぎでしょうか・・(笑)

そうですね^^
単純なのが実際は一番ですよね (笑)
物事って案外単純なことだったりすることってありますしね。
頭のいい人って、結構ひねくれて考えてしまうから・・・苦しくなったり
辛くなったりするのかも知れませんね・・・^^;
AIジジイさんへ
星月冬灯(ほしづき とうか) | URL | 2012-07-13-Fri 16:04 [EDIT]
> こんばんは

こんばんは。コメント有り難うございます^^

> 小説家に学ぶ~ 太宰治、楽しく読ませて頂きました

有り難うございます。
つたない内容ですが、少しは楽しんで頂けたようで嬉しいです ^^

> 私が、太宰を読み始めたキッカケは
> 社会人になり、純文学を読むようになった時に
> 『走れメロス』ってどんな内容だったけ、学校で読んだはず、と思った事からでした

きっかけはメロスだったんですね。
私もそうです。小学校の時に学校で観た劇がメロスでした。
まあ、本格的にはまったのは、人間失格ですけど。

>
> そこから、彼の作品を数作読み、世間で言われていた自殺を繰り返した暗い小説家とのイメージが私の中で良い意味で崩れ、彼の美しい文章に魅了され今日に至っています

確かに作品の内容がガラリと違いますもんね~
更に言えば、御伽草紙辺りの作品もまたガラリと違いますし、彼の作品は素晴らしいですよね。

>
> 私も思います、彼は凄く繊細な心の持ち主だったのではないでしょうか
> ですので、色々な状況に耐えれなかったり、すぐに感化されたのではないでしょうか

ええ。私も彼はひじょうに繊細な人だったと思います。少し自閉ぎみだったのでしょうね。
本当は自分を救ってくれる人が欲しかっただけなのかも、と思ってしまいます。。。

>
> 次回へ続く様なので、楽しみにしています

有り難うございます。
手元にある資料などからうまく纏められればいいのですが。
楽しんで頂けて嬉しいですvv

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