月の木漏れ陽亭
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今は亡き面影
   小説家に学ぼう~ 太宰治 ②




  サボテン 晩年 サボテン

 『人間失格』『桜桃』などを書きあげたのち、1948年(昭和2

 3年)に玉川上水(東京都北多摩郡三鷹町)に、愛人の山

 崎富栄(1917-1948)と入水心中(同6月13日)。

 この事件は当時からさまざまな憶測を生み、愛人による無

 理心中説、狂言心中失敗説等が唱えられている。『朝日新

 聞』に連載中だったユーモア小説「グッド・バイ」が未完の

 遺作となった。奇しくもこの作品の13話が絶筆になったのは、

 キリスト教のジンクスを暗示した、太宰の最後の洒落だった

 とする説(檀一雄)もある。

 遺書には「小説が書けなくなった」旨が記されていたが、自

 身の体調不良や、一人息子がダウン症で知能に障害があっ

 たことを苦にしていたのが自殺の原因のひとつだったとする

 説もある。既成文壇に対する宣戦布告とも言うべき連載評論

 「如是我聞」の最終回は、死後に掲載された。

 東京杉並区堀ノ内に埋葬。戒名は文綵院大猷治通居士。





  ラベンダー 作風 ラベンダー

 4回の自殺未遂や小説のデカダン的とも言える作風のため

 か、真に迫った作風を好む作家としてのみ捉える向きがあ

 るが、戦時中は『畜犬談』『お伽草紙』『新釈諸国噺』など

 ユーモアの溢れる作品も残している。深刻な作品のみを挙

 げて太宰文学を否定した三島由紀夫は、大藪春彦から「そ

 れなら君は『お伽草紙』を否定できるか!」と詰め寄られて、

 一言も言い返せなかったという。個人的に太宰と交際があっ

 た杉森久英も、永らく太宰文学を好きになれなかったが、戦

 後だいぶ経ってから『お伽草紙』や『新釈諸国噺』を読んで

 感嘆し、それまで太宰を一面的にしか捉えていなかった自

 分の不明を深く恥じたという。

 長編、短編ともに優れていたが、「満願」等のように僅か原

 稿用紙数枚で、見事に書き上げる小説家としても高く評価

 されている。「女生徒」「きりぎりす」をはじめとして、女性一

 人称の作品を多く執筆。

 「なぜ男性なのに、女性の気持ちがここまで判るのか」と、

 女性作家や女性文芸評論家から賞讃を受けている。ただし

 これは、特定の女性の日記が基になっている作品だからで

 あるとの指摘もされている(なぜなら「斜陽」は愛人太田

 静子の日記が基となっているから)。

 また坂口安吾、織田作之助、石川淳と共に「無頼派」または

 「新戯作派」の一人に数えられる太宰は、退廃的な作風を好

 んだ、と一般に言われている。 しかし、太宰自身は退廃的な

 作品を書きながらも同世代の作家のなかでもっとも「神を求め

 た人」であった、とする研究・評論も多くある。

 太宰は、聖書やキリスト教にも強い関心を抱き続けた。そして

 聖書に関する作品をいくつか残している。その一つが「駈込み

 訴へ」である。この作品では、一般的に裏切り者、背反者とし

 て認知されるイスカリオテのユダの心の葛藤が描かれている。

 太宰は、この作品を口述筆記で一気に仕上げた。

 1948年(昭和23年)、太宰の死の直前から『太宰治全集』が

 八雲書店から刊行開始されるが、同社の倒産によって中絶した。

 その後、創藝社から新しく『太宰治全集』が刊行される。だが、

 書簡や習作なども完備した本格的な全集は1955年(昭和30年)

 に筑摩書房から刊行されたものが初めてである。



 大まかに太宰治の人間像について書いてみました。

 今度は更に細かくその人間性と文学、恋愛、作品などについて

 書いてみようと思う。次回へ。















 ※このカテゴリのタイトル名は、サザンの曲「君にサヨナラを」

  の歌詞の一節から拝借しています  





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COMMENT

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No title
まり姫 | URL | 2012-07-13-Fri 17:43 [EDIT]
冬灯さんこんにちは~~♪

毎日すごいエネルギーですね^^
下の記事も太宰治の話ですから、こちらにひとこと(*^^)
太宰の生まれた環境と、彼の屈折した精神が作品自体に表れているように思います。
良い悪いは別にして、無頼派といわれた彼の作風も初期と晩年では大きな違いがあるようですね。
あまり詳しくはないのですが、彼の屈折した精神の原因をつくったのは、故郷に住んでいたころに、かなり年齢差のある女性から性的虐待を受けたことも原因のひとつと聞いたことがあります( ^)o(^ )
まり姫さんへ
星月冬灯(ほしづき とうか) | URL | 2012-07-14-Sat 12:07 [EDIT]
> 冬灯さんこんにちは~~♪

こんにちは~コメント有り難うございます^^

>
> 毎日すごいエネルギーですね^^

いえいえ~ただ昔書いてためておいた記事を予約してるだけですから
なんにもしてませんよ~^^

> 下の記事も太宰治の話ですから、こちらにひとこと(*^^)
> 太宰の生まれた環境と、彼の屈折した精神が作品自体に表れているように思います。
> 良い悪いは別にして、無頼派といわれた彼の作風も初期と晩年では大きな違いがあるようですね。
> あまり詳しくはないのですが、彼の屈折した精神の原因をつくったのは、故郷に住んでいたころに、かなり年齢差のある女性から性的虐待を受けたことも原因のひとつと聞いたことがあります( ^)o(^ )


そのようですね。彼の作品のところどころによくそういう文章が出てくるんですよね。
太宰氏の作品はほとんどが自伝的要素が濃いものばかりだけら、信ぴょう性は高いの
かもしれません。加えて、当時の日本の風習からいっても、そういうことが行われて
いたのも割と普通だったようだから、可能性は高いのでしょうね。さらに、彼は美男の
域に入りますしね (笑)

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