月の木漏れ陽亭
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秘められたTruth
   歴史はミステリー~徳川家康影武者説編 ②



     ※前回の続きです。





  女の子 語り継がれている影武者伝説 女の子

 南宗寺の坐雲亭(ざうんてい)という建物の前には、次のような

 言葉が書かれている。「山内最古の建物。下層は茶席。元和九年

 (1623)七月徳川秀忠、同八月家光の、両将軍の御成りの旨を記

 した板がかかっている。この両将軍の御成りや東照宮が祀られて

 ることなどによって、家康が後藤又兵衛の槍に刺され、南宗寺開

 山堂下に埋葬されていたという伝説が残った。墓は今も開山堂下

 に安置されている」

 伝説によれば、この南宗寺に埋葬されていたのは、1615年の大坂

 夏の陣で死亡した家康の遺体だという。

 天下分け目といわれた関が原の戦い以降、天下統一の足固めをし

 てきた家康は、1614年、10万余の大軍で大阪城を攻めるが、難攻

 不落の名城に苦戦を強いられる。そして、豊臣軍の先頭に立った

 真田信繁(幸村)の奮戦によって、休戦を余儀なくされた(大坂

 冬の陣)。

 この約半年後の大坂夏の陣では、家康が謀略によって天守閣を丸

 裸にしてしまったため、緒戦から勝敗はほぼ決定していた。とこ

 ろがここでも、幸村は活躍を見せ、3000の手勢で松平忠直率いる

 1万3000を突破し、家康本陣へと次々に突入させる。本陣は総崩れ

 となり、死を覚悟した家康は切腹を何度も口走ったという記憶が

 残されているという。

 実はこの乱戦時、幸村に深手を負わされた家康は、葬儀の行列の

 棺に入って戦場を脱出しようとしたが、これを怪しんだ後藤又兵

 衛に棺を槍で突かれ、これが致命傷となり、南宗寺で死亡。その

 亡骸は密かに埋葬された。という異説が残されている。







 かの武田信玄公も死んだことを伏せていたことは実証済みだし、

 仮にこの時点で家康が殺されていたと言われても、むしろそう

 だったのかもという気もしてくる。

 伝説にしては結構具体的な内容だし。可能性としては結構高い

 かも知れない。謎めく死の事実は、はてさて明らかになるのだ

 ろうか。ひじょうに興味深い伝説のひとつですね。















※このカテゴリのタイトル名は、サザンの曲「ニッポンの

 ヒール」の歌詞の一節から拝借しています 
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COMMENT

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しのぶもじずり | URL | 2012-07-18-Wed 15:07 [EDIT]
家康の陰武者説は、いろいろありますよね。
「大御所様と家康公が、一緒に馬に乗って出かけた」とい記述が残っているから、家康は二人居たとか。
徳富蘇峰が「家康は家康にして、家康にあらず」という意味不明の言葉を残したとか、謎に満ちていて、面白いです。

まり姫 | URL | 2012-07-18-Wed 17:06 [EDIT]
冬灯さんこんにちは~~♪
筋書き通りならなるほどと納得させられちゃいますね~^^
戦国乱世の時代だから、何でもありだったかもしれません(*^_^*)
実際に、家康の懐刀だった天海僧正が明智光秀などという説もあるくらいです(笑)
豊臣秀頼の息子国松も大坂城から脱出して島津藩に匿われたという説もあります(*^^)
「徳川実記」も後に書かれたものなので、虚実ゴチャゴチャのようですから、分らない部分もあるかもしれません( ^)o(^ )
しのぶもじずりさんへ
星月冬灯(ほしづき とうか) | URL | 2012-07-19-Thu 14:15 [EDIT]
こんにちは。コメント有り難うございます^^


> 家康の陰武者説は、いろいろありますよね。
> 「大御所様と家康公が、一緒に馬に乗って出かけた」とい記述が残っているから、家康は二人居たとか。
> 徳富蘇峰が「家康は家康にして、家康にあらず」という意味不明の言葉を残したとか、謎に満ちていて、面白いです。

疑惑が残ってますよね、色々と^^
歴史って、ミステリーだから面白いですよね。
まり姫さんへ
星月冬灯(ほしづき とうか) | URL | 2012-07-19-Thu 14:23 [EDIT]
> 冬灯さんこんにちは~~♪

いつもコメント有り難うございます^^

> 筋書き通りならなるほどと納得させられちゃいますね~^^
> 戦国乱世の時代だから、何でもありだったかもしれません(*^_^*)

そうですよね。勝ったものが歴史を作り出していく時代だから、
マズイことは消去されたでしょうし。
どんな真実がそこに埋まっているのか知りたいものです^^

> 実際に、家康の懐刀だった天海僧正が明智光秀などという説もあるくらいです(笑)

ですね (笑)

> 豊臣秀頼の息子国松も大坂城から脱出して島津藩に匿われたという説もあります(*^^)
> 「徳川実記」も後に書かれたものなので、虚実ゴチャゴチャのようですから、分らない部分もあるかもしれません( ^)o(^ )

天草四郎説ですね^^
この地方の子供たちが流行り歌で歌ってたりしてたそうですね。
まあ、どこまでが真実かは分かりませんけど。
この辺りも調べてみたいなぁ。

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