月の木漏れ陽亭
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偉大なる友よ
   新撰組⑤~土方 歳三を語りたい!



  コツコツ書いている土方さん録です 






    運命の出会い


 天然理心流(てんねんりしんりゅう)剣術に入門した

 歳三はここで終生の友となる近藤勇と出会う。

 この時近藤はまだ島崎勝太(かつた)と名乗っていた。

 近藤は、天然理心流の近藤周助の養子である。

 彼も歳三と同じく農民の出で、多摩郡(ごおり)上石

 原村の宮川家に生まれた。幼名は、宮川勝五郎(かつ

 ごろう)といった。天保(てんぽう)5年(1834)に誕

 生。歳三よりひとつ歳が上である。近藤も実家に出稽古

 で来ていた近藤周助に15歳で入門し、翌年その才能に惚

 れこんだ周助から流派の後継者として養子に迎えられて

 いた。この当初では、近藤姓を使わずに、周助の旧姓を

 とって島崎勝太と名乗っていた。

 勝太こと勇(いさみ)も、養父周助に従ってよく佐藤道

 場に出稽古に来ていたから、二人が出逢ったのは、歳三

 が入門した嘉永(かえい)4年(1851)中のことと思わ

 れる。その時歳三は17歳。勇は18歳であった。同年輩の

 二人はすぐに意気投合したと言われ、「両雄士伝(りょ

 うゆうしでん)」では歳三について、「昌宜(まさよし)

 ←勇のこと)と意気投合し、親交すること兄弟のごとし」

 と記されている。また、「両雄士伝補遺(ほい)」には、

 「昌宜と兄弟の義を結び・・・」と書かれてあり、いわ

 ゆる義兄弟の契りを二人はかわしていた。

 ちなみに義兄弟とは、中国の歴史書「三国志」の中で、

 劉備(りゅうび)、関羽(かんう)、張飛(ちょうひ)

 の三人が志を同じくするものとして兄弟の契りを結んだ

 という故事によっている。勇はこの三国志を好んでいた

 ことから、劉備らの英雄にあやかろうとしたのだろう。

 これ以降、歳三と勇は強い絆で結ばれてゆく。






 ようやく近藤勇、登場です 

 二人は本当の兄弟以上の兄弟だったという。

 よくヤクザ映画とかにも登場する「義兄弟」だ。

 勇が死ぬまで続いた強い絆。

 男の友情を感じる。

 こんな時代だったからこそ、その絆は二人の中で

 は唯一絶対的なものだったのだろう。

 裏切らない、信頼し通すことは簡単にみえて難し

 い。今の時代でさえ親友と呼べる人間と一生深い

 絆で結ばれたままなんて篤い友情はなかなかない。

 時勢があやふやな幕末で、裏切りや殺戮の時代の

 中で二人の繋がりが切れなかったことは純粋にす

 ごいことだと思われる。

 なにしろ二人は新撰組を作った人物たちだ。敵を

 斬ったことよりも仲間の粛清を行ったことの方が

 多い組の中で、最後までお互いを信じ、支え、裏

 切らなかった二人の絆。

 大らかで人望があり、豪放であった勇と、繊細で頭

 がよくまっすぐな性格の歳三は馬が合ったのかも

 知れない。

 また次回。













  ※このカテゴリのタイトル名は、サザンの曲

   「PRIDEの唄」の歌詞の一節から拝借して

                います  











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まり姫 | URL | 2010-12-11-Sat 13:19 [EDIT]
冬灯さんこんにちは☆

冬灯さんのいわれるとおり、歳三と近藤は幼馴染で、大変仲が良かったことは間違いないと思います。
ただ、新選組結成後は近藤の増長傲慢に手を焼いていたことは、
資料からも明らかです。
歳三が一番気を許していたのは、同郷の井上源三郎と沖田総司だったようですね~
その関係からか、源さんの兄上松五郎とは度々近藤のことで相談しています。

最終的に歳三と近藤が別れたのも、近藤には達成感があったかもしれませんが、歳三はもっと先の未来を見ていたように思えます。
まり姫さんへ
冬灯 | URL | 2010-12-13-Mon 01:30 [EDIT]
> 冬灯さんこんにちは☆

こんにちは~
いつも有り難うございます^^

>
> 冬灯さんのいわれるとおり、歳三と近藤は幼馴染で、大変仲が良かったことは間違いないと思います。
> ただ、新選組結成後は近藤の増長傲慢に手を焼いていたことは、
> 資料からも明らかです。
> 歳三が一番気を許していたのは、同郷の井上源三郎と沖田総司だったようですね~
> その関係からか、源さんの兄上松五郎とは度々近藤のことで相談しています。
>
> 最終的に歳三と近藤が別れたのも、近藤には達成感があったかもしれませんが、歳三はもっと先の未来を見ていたように思えます。

それはありますね~
勇はちょっと上流志向が強いところもあったようですね。
そういえば、ちょっとうろ覚えになってしまいましたけど、まだ道場時代に
何かで不合格になったエピソードがあったかと・・・(なんだっけ? 役所?だか
なんだか・・・)その時もそうとう落ち込んでひどかったという話があったように
記憶してます。
まあ、人柄はよかったのでしょうね~
あと、土方さんにとってはそんな近藤だったからこそ、動きやすい面もあったのかも
知れませんよね。


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