月の木漏れ陽亭
いらっしゃいませ☆  リニューアル!詩作やら日記がメインです。趣味や日々のあれこれを語っています☆  みなさま、どうぞごゆっくりとしていって下さいませww
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
言葉にならない痛みに震えて
   歴史はミステリー ~検証ファイル・中世の魔女狩り ②



 罪はどのように立証されたのだろうか?



 さとと-キャンドル 通説 さとと-キャンドル

 当時の裁判所の記録には、「悪魔と契約した」というものが

 もっとも多い。それに続き、悪魔との性交、夜間の空中飛行、

 「サバト(魔宴)」と呼ばれる悪魔集会への参加などが多い。

 サバトの場所としてよく知られるのは、ドイツのブロッケン

 山である。サバトでは、魔女が集結すると灯がともされ、魔

 王は山羊、犬などの姿となって、王座に着席する。魔女たち

 は、魔王に黒い蝋燭と嬰児(えいじ)のへその緒などを捧げ、

 魔王の臀部(でんぶ)に接吻して忠誠を誓ったとされる。ただ

 しサバトは、地域によって形態が異なっているという。

 悪天候もまた、魔女たちの仕業と考えられていた。特に1580~

 1590年にかけては、悪天候の影響で農作物の不作が続いた

 ためにすべて魔女たちの仕業だと言われていた。1588年6月

 には、バイエルン地方のションガウで起きた激しい嵐により、

 穀物が多大な被害を受け、63人の魔女たちが処刑されている。

 また雷や雪崩、氷河の破裂といった自然現象も魔女の仕業

 と信じられていた。さらには、人間や家畜の死、疫病や怪我、

 伝染病の流行なども魔女の仕業とされ、これらをもたらす女

 性は「実害魔女」と呼ばれていた。



 さとと-クリスマスプレゼント 検証 さとと-クリスマスプレゼント

 魔女裁判において、物的証拠が示されたことは皆無である。

 では、なぜ犠牲者は有罪とされたのであろうか。

 それは、残酷な拷問によって自白を強要され、罪が捏造さ

 れたからに他ならない。ひとりがサバトへの参加を認めて

 しまえば、他の参加者の名前をあげさせられ、芋づる式に

 魔女が作り出されていったのだ。つまり魔女裁判はすべて

 でっちあげだったのだ。

 1487年にヤーコプ・シュプレンゲルが著した「魔女の槌」は、

 拷問の方法について具体的に説明している。たとえば「自

 白すれば、命を許してやる」と約束し、自白した後の処理

 法として、水とパンだけを与え、死ぬまで牢獄に監禁した

 り、当分の間は処刑せずに監禁しておき、その後で処刑

 したり、担当裁判官を交代させ、交代した裁判官が死刑
 
 の判決をしたり、とった詐欺まがいの方法が詳細に紹介

 されている。

 拷問は、数段階に分かれていたが、拷問を繰り返すこと

 は許されず、自白しないで全段階を耐え抜いた者には無

 罪放免にしなければならないという決まりがあった。だが

 実際に無罪放免となる例はまれだった。

 最初の拷問の段階は、容疑者を裸にし、拷問具を見せつ

 けて威嚇する。そして身体を縛り上げ、鞭で打ち、肉が裂

 けるほど指をネジで締め付け、拷問台に寝かせ、四肢を

 四方からひっぱる。

 そして次の段階では、脛の骨が砕けるまでマンリキで締

 め上げる「骨砕き」などへとエスカレートしてゆく。また、

 こうした過酷な拷問だけでなく、「自白すれば、生きなが

 らの火刑ははやめてやろう」と、処刑方法と引き換えに

 自白を迫るケースもあった。

 魔女の処刑は、夏の晴れた日を選んで行われ、公開

 された。各地から見物人が集まり、一大イベントの様相

 を呈していたという。

 魔女裁判の全盛期、ドイツのイエズス会士フリードリッヒ・

 シュペー
(1591~1635)は、捏造による裁判を告発する

 ため「魔女裁判の警告書」を出版したが、その主張は葬

 り去られた。






 怖い! 怖い!

 当時の様子を知ると、本当に恐ろしいですね。

 あらゆる負の引責を魔女に押し付けてしまっている。これが

 本当に起こっていたことなんだから人間のすることは恐ろし

 い。日本にまでこんなものが広まらずに済んだことは、幸せ

 だ。魔女として生贄にされた女たちはどれほど無念の内に

 死んで行っただろうか。中には家族や子供もいる女性もあっ

 ただろうに。

 文明や科学がまだ未発達だった時代、天災や災害がなぜ起

 こるのか、人々はさぞかし不安や恐怖を覚えただろう。どの

 世代であってもそういう時が訪れると、生贄を作ってしまう。

 何かのせいにしなければ心の均等を得られなかったのかも

 知れない。それにしても残酷だ。

 そしてその事実を隠そうとし続ける教会を遺憾に思う。

 宗教は偉大だ。人を救う。魂を浄化させる。だからこそ、真実

 を受け止めることが大切なのではないか?

 人は懺悔なくしては生きていけないのだから。様々な贖罪を

 抱えて生きているのだから。先祖がやってきてしまったことも

 すべて含めて、認めること。そこに真の赦しがあるのではない

 か? 大事なのは、これからどのように生きていくかということ

 であって、過去の過ちを消滅することではない。

 人は過ちがあってこそ、悔い改め、精進し、進化してゆけるの

 だから。それを主張してゆくべき姿が宗教なのではないか。

 と思う。

 まだ続きます。















  ※このカテゴリのタイトル名は、サザンの曲「哀しみのプリズナー」

    の歌詞の一節から拝借しています  





  にほんブログ村 ポエムブログへにほんブログ村 ポエムブログ 切ない詩へ にほんブログ村 ポエムブログ 悲哀詩へ
 にほんブログ村 ポエムブログ 吟遊詩人へ ブログランキング・にほんブログ村へ 
人気ブログランキングへ  ←ポチッとよろしくね 絵文字名を入力してください






     拍手だよ~  z
スポンサーサイト

TRACK BACK
TB*URL
Copyright © 2005 月の木漏れ陽亭. all rights reserved.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。